上海、東亜同文書院へ入学

シーソー・ゲームのように一生懸命あらそって勉強した思い出の県立第一中学校の課程にも、やがて卒業の春がおとずれました。
 那覇や首里の級友たちが、おもいおもいに東京や大阪の大学や、専門学校に進学してゆくのをみると、ひとり玄信は、ものおもいに
しずむのでした。うえの学校へ進もうにも、それをささえるだけのお金の素袷が郷里の親になかったのです。
東亜同文書院時代の玄信

上海の町
事情を知った中学の先生だらけ、玄哲の才能をおしみ、このままではもったいないとおもい、あれこれ考えたすえ、上海にある東亜
同文書院へ進学をすすめようと考えました。
 この学校は、アジアの繁栄のために慟く、中堅の人材を養成する目的で、いっさいの学資が各府県から支給されるしくみになってい
ました。
人力車で上海の町を行く玄信
 先生からくわしい内容をきいた玄信は、わたりに船とよろこんで、さっそく郷里の父へ、めんめんと手紙をつづったのです。
 夢にも態径したこともない中国大陸の、国際的な名高いエキゾチックな上海の大学、東亜同文書院に入って、思う存分に勉強ができ
ることを思うと、もう、いてもたってもいられないうれしさで、胸が一はいでした。
必要な願書をそろえて県庁にだすと、学校時代の成績が効をそうして、ほかの競争相手をおしのけて、定貝一名にゆうゆうパスする
ことができました。
ばたるのひかり窓の雪……
 梅の花が、校庭一めんにさきみだれて、別離をおしむオルガンのしらべが、学校の窓からながれてゆくのでした。



沖縄ってバカにするな

「遠いくにじや、からだにはうんと気をつけてがんばるんだぞ…」
春3月うすぐもりの那覇港は、見送りの人びとで、ごったがえしていました。
ゆきかう荷車や人力車も、せわしなげに雑踏をおしかけて、船の
よわりにあつまっては、また去ってゆくのでした。万一ン… が-ン… 万-ン……
ドラの音がなって、ポーッとかんだかい汽笛の音が、あたりにこだますると、やがて船は大きくゆれて岸壁をはなれました。
玄信は、身をのり出して、誰にともなく千をより、すみなれた首里や那覇の町に、しはしの別れをおしむのでした。
東京についた玄哲は、他の学生だちとともに宮城で、陛下からはげましのお言葉をいただくと、いよいよ日本をあとにしました。
長い旅路のあと、上海の町にようやくたどりついた玄信には、見

るもの聞くものすべてが、異様で珍しく、のどかで平和な那覇の町とはケタちがいの感じでありました。
 なかでも大へん珍しいのは、町の中国人のかんだかい会話のやりとりで、日本をとおくはなれた別世界……そんな実感がしみじみと
彼の心にこみあげたのです。「中国語もおもしろそうだ。ぜひ勉強しよう」
同文書院の高い校舎をみあげて、玄信はそう自分にいいきかせました。
この学校は、学力優秀なものが日本の各地から県費生としておくられ勉強するしくみになっていたので、学生のなかには東京はもと
より、長野県だの広島県だのと、その出身地も全国にまたがって多彩をきわめておりました。
「おいっ./ あの下地は沖縄からきたそうだよ…」
「へえ? 沖縄か?」
「ずいぶん遠いところから来たもんだよ…」
「だけど、休だけはでっかいな…」

入学式がおわって、クラスごとに自己紹介があって、玄信の身元が沖縄だとわかると、周囲の目が急にかわり、好奇のなかにも白い
冷たい視線が一せいに彼にそそがれたのです。


同文書院を一番で卒業

ひとりの人間がどこで生まれ、どこで育ったか、ということは、たとえ偶然のことではあっても、まえに県立中学校で、にがい経験
をあじわった玄信は、いままた、沖縄うまれの田舎者ということで、こんなにも馬鹿にされるのかと思うと、いいようのない怒リカゞこみ
あげてくるのでした。
「いまにみろ。一生懸命がんばって、見くだしてやるぞ…」
持ちまえの強気は、学友たちの偏見とけいべつが、つよくなれば
なるほど、日一日と、かれらに反はっしたい気持ちへとかわってい
きました。
 「ユー ハッド ベター ウェイト、ティル ユー アー アースクト]セッド ザ ヤング レディ……。
同室の学友たちが、みんなねしずまった夜半、電燈のもとで、机にむかう玄信のすがたは、もういまではあたりまえのことになっていました。
努力によさる天才なし、と大きく筆太にかかれた机上の金言は、玄信の心境とまったく意気とうごうしたのです。

東亜同文書院正面(虹格路)
 

日本全国からえらばれた優秀な生徒たちだけあって、どれもこれも頭はよかったものの、しかし玄信のたゆみない執念と努力のまえ
には、だれひとりとして、たらうちできるものはありませんでした。
いよいよ卒業のとき……
玄倍加学力一番の成績をあげると、上海の邦字新聞はこぞって、「沖縄人学生、同文書院を首席で卒業…」と大きな見出しでニュー
スをな加レあらためて、玄倍の偉業をほめたたえました。



森恪に見こまれて


人間は、だれしも一生のうち、三度の幸運にめぐまれるといわれているのですが、しかし、このせっかくの幸運も、そのとき、それ
に見あうだけの実力をそなえていなければ、そのまま、すどおりをしてしまうといわれます。
沖縄人だの、田會者だのと、周囲からけいべつされたくやしさから、逆に奮発をした玄信は、同文書院でも桂をおさえて、首席で卒
業するという栄冠をかちえましたが、それにはもう一つのわけがありました。
そのころ、上海に中日実業公司という会社がありました。この会社は、中国の有名な政治家、孫文をかしらに、日本からは
渋沢栄一らが経営にくわかり、専務に森恪という血気さかんな青年がおりました。
森は当時、弱冠二十代という若さで、三井物産の天津支店長として中国にわたり、ゆくゆくは、三井の犬番頭になることが約束され
たばどの人物でした。
 しかし、「おれは三井なんかに、あんかんと出世をまつような、のんきな人間ではない…]と、あっさり三井をとびだすと、中国人
 
森恪の筆跡
32
森   恪
 
陸の経営にひたむきな情熱をもやしていたのです。
後年、日本の偉大な政治家、犬養毅を総裁に校友会という名の政党をもりあげ、ハめん六ぴの大活躍をした実力者こそ、この森恪で
あったのです。
日頃から、森に心酔していた玄信は、なんとかこの人にひと目今いたいとおもい、ある日、勇をこして中日実業公司に森専務をたず
ねました。「同文書院の卒業生には、三井や三菱の大手会社から求人のさそいかおりますが、私は中国にのこって大きく活躍をしたいとおもい
ますので、どうか森さんの下でつかってください・‥」
つっけんどんにしやベリまくる一かいの書生っぽをみて、最初、とまどった森は、あまりにもせつせつと心情をうったえる玄信の奇
特さにばだされて、とうとう条件をつけて、将来、部下にすることを約束いたしました。
「それではいいかね? まず同文書院を一番の成績で卒業したまえ。それから最初の五年間は、僕の指示にしたがって行動するんだ。
それを、ひととおりやりとおせば、その時こそお前をわしの部下にしよう…]
 当時、中国大陸は、日本の国力が急速にのび、大陸進出をめざす大小の会社で、ひしめきあっていました。

 同文書院の卒業生たちは、若い有能な尖兵として、これらの会社からひっぱりだこでしたが、玄信はそんなものには目もくれず、ひ
たすら森の人がらにみせられて、将来は、この大陸で大きな事業をおこそうと、こころひそかに野望をもやしていたのでした。



炭鉱の坑夫になれ

東亜同文書院を首席で卒業すると、玄信は、いそいで中日実業公司に森恪をたずねました。
「お約束どおり学校を一番で卒業しました…」
  「そうか、よくがんばったね。見事、見事。ではこれから、わしの部下として仕事をあたえるぞ。ただちに束京へいって三井の本社
をたすね、牧田常務に会ってこい…」一瞬、玄信の背すじを冷たいものが流れました。
これからすぐに上海を去って束京へゆけという突然の指令に、玄信の心はとまどったのです。
 将来はこの広い中国大陸で、一生懸命働きたいと心ひそかに大きな夢をいだいていた彼は、森恪の真意がつかめず、ただおろおろす
るばかりで、やむなく東京さして旅立たなければなりませんでした。
 四月のはじめとはいえ、東京はまだうすら寒く、まもなく桜もさこうという季節でありました。

当時の坑内作業
三井三池鉱業所万田坑


 三井鉱山の本社に牧田常務をたずねると、すでに森から連絡があったらしく、心よく玄信をむかえいれました。
  「ではさっそく、仕事をいいつけるが、これから九州の三池炭鉱へいって、そこで採炭夫として働いてごらん…」玄信は目のまえが、まっ暗になりました。
いったいこれは、どういうことなのか?
 はなやかな活躍を心にえがいで東京入りをした玄信の夢は、いまや無残にもうちくだかれ、ドスーンと奈落の底へおっこちたような
絶望とおどろきが玄信をつつみました。
  「こんなことってあるものか、なにがなんだかさっぱり分らない。いっそのこと上海で、よその会社にでもはいればよかったのに…」
 くやしさともつかない、残念ともつかない、後悔ともつかない複雑な気持ちが、玄信の胸をしめつけました。
「同文書院を首席で卒業して、就職先参加炭鉱くんだりの、しかも採炭夫とは…」
 遠い沖縄の両親の顔がうかんでは消え、消えてはまたうかぶと、いつしか犬つぶの涙が玄信のばばをつたってくるのでした。


 
落盤の下じきに
大正時代の三池港
でもなったら、もう人生はそれまで力ヽ‥…・?
 ばりっと背広をつけ、意気ようようとしたかつての同級生たちのはなやかな姿が、玄信の脳裏をかすめてさりました。
 苦しい三ヵ月がすぎかおる朝……
 突然、所長から呼びだされた玄信は、ニんどは、石炭を運搬する仕
事にかわるよう脂ぜられました。ままよ。すっかりやけくそになった玄信は、二つ二つと石炭はこび

 


鉱山のあけくれ



いまや、すっかりうちしおれて、九州おちをした玄信は、三池の炭鉱で藤岡所長にはじめてのあいさつをかわすと、翌日から坑内に
おりて石炭をけるよう脂ぜられました。支給された坑内服に身をかため、ヘルメット帽をかぶると、自分でもおかしなくらい異様なかっこうになりました。
かたい石炭をばりだす仕事は重労働で、玄信のうちおろすツルハシのまえには、石炭は無情にもはねかえるばかりで、
いつのまにか手には、みるみる大きなまめができあがりました。
そうしたある日……
坑内で突然大きな事故がおこったのです。大きな音をたてて坑内の石炭が落下して、下にいた数名の坑夫が
大けがをしてしまいました。そばで一しょに仕事をしていた玄信は、とっさの機転で、この難をまぬがれましたが、
不安と危惧はますますつのるばかりでした。いったい、これからぼくはどうなるのだろう?

にはげみましたが、やがてまた三ヵ月ばかりがたつと、こんどは石炭の船づみへまわされたのです。
九ヵ月が夢のようにすぎ、寒い荒涼たる炭鉱に冬がおとずれました。
ある晩、藤岡所長は玄信をよんで、ブだ新しい仕事をあたえたのです。
「ながいこと、よくがんばってくれた。苦しかっただろうが、これが人生というもんじや。人間、第一、忍耐がルければ成功でけん
のじや。あしたからは事務所で会計のめんどうをみてくれ…
矢しよりに白いワイシャツにネクタイをつけると、なんとなくおもはゆく、見上げる鉱山の山なみは、くろぐろと肌もあらわに、も
う冬のおとずれとともに、寒い北風がふきおろしてきました。




軍隊から三井の正社員へ

炭坑夫からようやく、会計の事務へまわされて、ばっとしたのもつかのま、玄俗に徴兵介状がくだりました。
一年志願兵として都城の連隊に入隊せよとのことです。「気をつけ…」「右へならへ…」「まわれ右…」
 苦しかった炭鉱での仕事にくらべれば、軍隊の生活は天国のよう
で、玄信にとってはむしろ楽しい毎日がつづきました。
三池の炭鉱時代、下宿をしていたおくさんのはからいで、その妹をすでにお嫁にもらっていた玄信は、楽しい新婚生活もはやばや
ときりあげ、軍隊に入隊したのでありました。
 月々おくってくる三池炭鉱からの月給と、新しい環境の変化が、彼に精神的な解放感をあたえ、気楽な毎日がすぎたのです。
 やがて、一年あまりの軍隊生活がおわると、玄信は見習士官という陸軍の中堅将校のたまごにのしあがりました。

若い頃の翠子夫人
夢のような軍隊生活もぶじおえて三池にかえると、東京の本社ヘ転勤を命ぜられ、ここにはれて玄信は、三井の正社員となったので
す。今や日本でも、一、二をあらそう大会社の社員そうおもうと長く苦しかった過去のかずかずの思い出が、走馬燈のようになつか
しく、脳裏をかすめるのでした。
おもえば、同文書院を卒業して森恪の命合一下、さんざん辛酸を

大正8年 都城軍隊時代の玄信(右端)なめてきたことが、実はこうしていま、大会社の社員になるための
修業の基礎であったかとおもうと、玄信はいまさらのように森恪の大きな愛情に男泣きしたい衝動にかられました。
ライオンは、わが子をつよいライオンにそだてるために、生れおちると谷底めがけておとすというが、森恪の玄信をおもう思いやり
も、この教訓をまねたのです。朝は誰よりも早く出勤して仕事にはげみ、夕方はおそくまで会社
にいのこっては、がむしやらに精出すという毎日がつづくと、収入もふえ、また会社からもますます信用されるようになりました。

 しかし玄信は、心のなかでは、かたときも森への魚察加わすれ加たく、とうとう三井をやめ、森のところへ走ってしまいました。
 三井では玄信の才能をたいへんおしみ、ひきとめて、将来は重役まで加んばってばしいとさとしましたが、玄信の決意はゆるぎませ
んでした。ちょうど三井に入社して、5年目のことでありました。


百万円の大事業に失敗


大正10年……
上海で中日実業公司を経営していた森恪は、日本国内でもいろい
ろな企業に千をとしていました。
 故郷の沖縄で、燐鉱がとれるというはなしを耳にした玄信は、なんとかして郷土の開発のために事業をおこしたいと考え、そのこと
を森にうちあけました。「そうか、しかし燐鉱といってもいろいろあってむつかしいもんだよ。とにかく調査してみよう…」
やがて派遣された技師の調査によると、燐鉱の埋蔵量もたいへん多く、企業としても有望だという報告がなされました。
こおどりした玄信は、この開発と偕行して、さらに沖縄本島の北部、連火港に一大漁場をつくろうと遠大な計画をかんがえたのです。
話はとんとんびょうUニすすみ、森恪から百万円の大金を投じてもらうと、玄信はただちにこの事業に着手しました。
 

浬 水 港
しかし、なんという運命の皮肉でしょうか。数年をまたずに、玄信の企業は、もののみごとに失敗、大金はフイになってしまったのです。
 技師から大丈夫といわれた多良間島の燐鉱は、じつはポケットといって、表面だけのあさい鉱脈だったのが、失敗の原因でありまし
た。また、せっかくつくったばかりの連火港の漁場も、漁網が海の底のサンゴ礁にひっかかってやよれるなど、さんざんな目にあったの
です。そのほか、毎年のようにきまっておそいくる台風加速入港の漁場をひとなめして、施設をめちやめちやにしてしまいました。

 もはや万事きゆうす……
百万円という大金を、たったの二年で、いっさいをフイにした玄信は、天をあおいで失望落胆、かえす言葉もなくうちしおれました。